2013年03月16日

戦う外城(とじょう)知覧の武家屋敷

島津家のお膝元であり、西郷隆盛や小松帯刀、天璋院篤姫ゆかりの地として知られる薩摩は、総人口に対する武士の比率が大変高い(1871年(明治4年)の人口比で26%)土地であったという。
藩は、領内を区分けして武士を分散させて居住させ、軍事的な拠点を複数作ると共に
農民や漁民を効率的に支配していた。
その仕組みを、藩主の居城(内城)に対して外城(とじょう)と呼び、外城内に住む領民は有事の際、領主や地頭の指揮下で戦さに参加することになっていたという。

いろいろなところで武家屋敷を見てきたが、薩摩の武家屋敷はまさに戦うための拠点と云える代物であった。
とくに印象に残ったのは無駄のない美しさ、整然と配置された石垣 敵兵の突入を防ぐ入り口正面の石垣は台風等に対する吹きさらしをも防いでいた

男と女の玄関があり女性だけが出入りする入口があった
これをタダの女性差別と見るか、それぞれの役割からくる区別かは人それぞれの考えである
上州群馬のカカア天下というのは養蚕からくる生活力が大きな要因といわれたり
鹿児島の女は表面上は男を立てると言われているが、実は男は女房の掌で踊らされているとも言われている
これも薩摩の武士は常に戦場を意識しており、残された女たちは常日頃から一家を守っていくにはどうあるべきかを意識し強い女を作ったのではないだろうか

ヨカニセドンがヨカオゴジョの尻に完璧に敷かれているもう一人の友人の姿を思い出した
ものは考えようで「女房のほうが強い家庭ほどうまくいっているぞ!」と云っている輩もいることは確かである
知覧武家屋敷390.jpg
posted by 木漏れ日 at 06:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月15日

やっと来ることができた知覧

靖国神社の遊就館には何度も行っていたが、心にいつも引っかかっていたのが、
知覧の特攻基地への参拝をしていないということであった
本音を言うと、鹿児島行きの最大の目的は“知覧特攻平和会館”であった。
幸い古くからの友人が車で案内をしてくれるということになり、
ホテルを9時にチェックアウトして、一路知覧へ向かった

道中 健康の話と癌で亡くなる話に終始した
私の身近の人が癌で亡くなったり、親しくしている友人が脳幹血栓で半身不随になり、10年に亘るリハビリをサポートしてきた奥さんが肺の末期癌に侵された話をしていたら、友人がポツリと実は女房が・・・とのことであった。
この友人夫妻は、ご主人も奥さんも人がよく誰からも好かれる“ふるき良き日本人”ともいうべき人たちあり、我が家とは親身な付き合いをしている
彼については損得勘定なしの鹿児島県人というのが私の評価であり、これはと思ったらトコトン尽くす男の世界に生きる人でもある
そうこうしているうちに知覧の街についた

沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間(けらま)列島に上陸した1945年(昭和20年)3月26日から始まった
 特攻作戦には、知覧基地を始め、九州には多くの基地があったが、知覧基地が本土最南端だったということもあり、全特攻戦死者1, 036名のうち、439名(中継基地となった徳之島・喜界島を含む)、全員の半数近くが知覧基地から出撃している
 本格的な特攻作戦は、陸海軍共同で4月6日第1次総攻撃として始まり、7月19日第11次総攻撃の終了まで続いたのである

「知覧特攻平和会館」には、たくさんの遺影と辞世の句が展示されていた
出撃前の煩悩に苦しみそれに打ち勝ち悟りきった笑顔
若気の至りで虚勢を張って勇ましい言葉を残さざるを得なかった遺書
武人として男として泣き言も言えず、最後を美しく飾ろうとする健気さ、
20歳前後の若人の気持ちを考えると涙なくしては語れないものがあった
穢れのないさわやかな若人たちの姿がいつまでも心に残り
この地を離れるにあたって感謝とともに安らかなご冥福を祈るだけであった

posted by 木漏れ日 at 06:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月14日

おもてなしの心 ”夏菜”似のフロント係

鹿児島2日目
この日は2時過ぎまでシンポジュームが続いた。
外は雨がパラパラ 傘はなし
書類袋を頭に城山観光ホテル周辺にある西郷軍関連の名所旧跡を訪ね歩く
雨が本降りになったので見切りをつけて例のシャトルバスで中央駅まで直行、
近くのコンビニでビニール傘を入手
考えてみると出張のときは必ず雨 俺は悔しいけれど雨男か・・・

最近は大きな都市であればどこでも市内観光用のレトロ風循環バスがある
御多分に漏れずここにも「カゴシマシティビュー」というのがあって1日乗車券が大人600円 市電や市営の路線バスも乗れるというのだ
さっそく“城山・磯コース”に乗って鹿児島中央駅を出発した
運転手さんにお奨めはどこですかと尋ねたら、60歳前後のオジサンが観光案内図を見せていろいろ説明してくれる
実に素朴で世話焼きの古き日本人という感じであった

このおじさんお奨めの“維新ふるさと館”を見学
明治維新で活躍した志士たち遺品や活躍を映像やジオラマを使ってわかり易く展示してあった
大阪城そばの箱モノばかり立派で中身のなかった大阪歴史博物館とは雲泥の差であった
外は雨なので時間に合わせて「シティビュー」に乗る

鶴丸城跡の「鹿児島県歴史資料センター 黎明館」は鹿児島の考古・歴史・民俗・工芸など様々な分野に関する古文書や道具類などが展示されており、一見の価値ありであった
前庭には篤姫の銅像もあった
途中 西郷南洲顕彰館、南洲墓地があったが時間の関係でみることができなかった
島津家ゆかりの仙巌園を楽しみにしていたが、入場時間の関係で乗車見学だけとしたのが残念であった

意外とよかったのが鹿児島中央駅 駅中と周辺スポット
駅とみやげ横丁やグルメ横丁が続いているフレスタ鹿児島や中央ターミナルビルが混然としていて楽しめるところであった
そこで帰りのお土産を入手して近くのホテルへ

鹿児島2泊目はB&Bパークホテル
フロントは“夏菜”似の20代前半のお嬢さん
早速チェックして部屋に行くと桜吹雪のメッセージ用紙に“せっかくの鹿児島 雨で残念でしたね お部屋でゆっくりおくつろぎください”と書いてあった
これも鹿児島県人のおもてなしの心かな
夏菜似のフロント係の記名があったのでチェックアウトの時に
「メッセージありがとう!」と云ったら嬉しそうに微笑んだ
この一言が彼女のモチベーションを上げたことは確かである
posted by 木漏れ日 at 07:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月13日

絶景かな! でもちょっと残念

先月のことである。
雪深い北海道から南国の鹿児島へ出張で一っ飛び
千歳1020発で鹿児島1520着
何と早いことか

鹿児島第1泊目はシンポジュームのあった城山観光ホテル
鹿児島では超一流のホテルだそうだ
西郷さん終焉の地である城山は鹿児島市内を一望にできる要衝の地と云えた
ホテルのすぐそばに西郷軍の本部が置かれていた地域は今は公園になっていた
一流ホテルというだけあって確かにロケーションはよいし、スタッフはよく訓練されていた

ただ寝るだけではもったいないので、鹿児島の繁華街 天文館をホテルのシャトルバスに乗って散策に出かけた 照国神社前で降りたほうが天文館は近いですよというのに終点の鹿児島中央駅まで乗ってしまった
それからが長かった。時間合わせの停車と遠回りして天文館まで行くのに30分はかかったと思う
はじめてといってよい街ということもあってどこがどうなっているのかさっぱりわからない
実をいうと40年ほど前に一度だけ同期の仲間とこの地を訪ねたことがあったのだ
その時は指宿温泉の繁華街ばかり散策して、鹿児島のどこかで“馬の落し物?”とかいう真っ黒なかりんとうのようなものを買った記憶しかないのである

この天文館は鹿児島一の繁華街それなりの人の多さと黒豚とんかつ専門店が多いのにはびっくり
次の日には同期生と一杯飲むことになっているので、この日は我慢してそれなりのものを食べて城山のホテルへ帰った
地下1000mから湧き出る良質な温泉と、108mの高台から桜島と鹿児島市街地を一望する絶景展望露天温泉というのがウリであったので、さっそく露天風呂に入り絶景を眺めることにした
確かに夜景の綺麗なこということなし
しかし天気が今一つで桜島がうすぼんやりとしてしか見ることができなかった
あすへ期待しようっと・・・
posted by 木漏れ日 at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする