2015年09月19日

盛りが過ぎても色っぽさはあるもの!

 先日(17日)ロイズ・ローズガーデンのある”あいの里”へ行ってきた。
女房殿が”ロイズ本社の薔薇園が綺麗らしいよ!”というので、しばらく弄っていなかった一眼レフを持って出かけることにした。
まずはロイズのあいの里店でソフトクリームをいただいてから薔薇園へ行くことにした。
 店は平日にもかかわらず満員、男連中は私を含めて2・3人
早速、テーブルに座ってソフトクリームを待つ。
近くの席の奥様達の色っぽくてエネルギッシュなこと。
年のころは30代後半か、大きな声でペチャクチャ、4人そろってどっと笑う。
そのうるさいこと・・・.
爆買いで有名などこかの国のおっかさんたちと大して変わらない。

 日本人も他人様には気を使わなくなったのですかね・・・。 
そういえば台湾旅行でも、昔の娘さんたちとかなり草臥れた風の昔の美少年たちが大声で叫びまくっていたな・・・。
同じ日本人として恥ずかしい思いをしたことがあったな・・・。

 お店の目の前にロイズ本社がある。
建物をまくようにローズガーデン。
そこにはたくさんの種類のバラが咲き乱れているはずであったが、時すでに遅し、ややくたびれ掛けた花たちが密集している。ガーデンを世話している方に伺うと時期は6月上旬から9月の下旬までだそうである。
それでもまだ薔薇の残り香が残っており、しっかりした花びらをつけているもののみ90枚ほどカメラに収めた。

 一番の見ごろは6月下旬だそうだ。
来年はそのころに焦点を当てて再度挑戦しよう・・・と。
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2015年09月12日

18歳を大人に鍛え上げようじゃないか!!!

 公職選挙法の改正に伴い民法の成人年齢を「18歳以上」に引き下げることを柱とした提言案を、自民党の特命委員会がまとめた。ただ、焦点の飲酒・喫煙できる年齢については結論を先送りしているという。
街角インタビューでは18・9歳はまだ子供だという意見が多いのではないかと思う。

年齢だけでその精神的・肉体的成熟度を図るのは無理がある。
人間が成熟するのは置かれた環境でどうにでもなるというのが正しいといえる。
現代の子供たちはなぜ幼いのかといえば、親が必要以上に手を差し伸べることにこそ問題がある。
平和で便利な世の中にいる私たちは子供たちの手を必要としていないのである。
例えば掃除洗濯片付けにしても母親がサッサとやってしまうし、北海道の冬は除雪が大変である。
周りを見ても小中高の子供たちが率先して働いている姿を見たことがない。
町内会の一斉清掃においても10件に1件程度しか子供は参加していない。
これでは社会性を身につけろと言っても無理がある。

 大学の就活においても他人とのコミュニケーションができない。社会常識、国際常識がないとか、自分の頭で考えだすということが苦手だったり、失敗を非常に恐れるとかがある。
これは何が問題化といえば、小さいころから子供が苦戦していたら親が、特に母親が手を貸す、あるいは周りの大人が余計な親切で子供の芽を潰しているのである。

 昭和20〜30年代、日本が敗戦の混乱と貧しさに苦しんでいたころの子供たちは親たちの生き様をしっかり見ていて、何とかお母さんに楽をさせたいと思っていたはずです。
いま東南アジアの子供たちが一生懸命働いて親の役に立ちたいというのと一緒だったはず。
私でさえ小学校4年の時、母親が病気で動けないときに一家のご飯を炊き、みそ汁を作ったものです。
また家の掃除も一所懸命やったものです。
今の時代小4の男の子が家の賄(まかない)をやるなんて考えてもみないですよね。
しかし、自分の置かれた環境がそうであればやらざるを得ないのです。

 18歳が成人年齢かどうかではなく、そうさせればよいのであり、タバコでも飲酒でもやればよいのです。
ただし高校では校則で在校間は禁止とすればよいことであり、運用で決めればよいことです。
これは5年10年の間はトラブルが出るでしょう。そんなもんだと思えばよいのです。
自己責任で決めさせれば社会性が付くものです。

また大人がいらぬ心配をして、手かせ足かせをするのではないでしょうね・・・・。
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2015年08月25日

オバさん化した子供たち

大阪府高槻、柏原両市で、中学1年生2人の遺体が見つかった痛ましい事件が起きた。
明け方まで二人で街の中をほっつき歩いていたというのにも、
今どきの子供たちの生態について改めてびっくりしている。
死体遺棄容疑で契約社員・山田浩二容疑者(45)が逮捕されたというのはせめてもの救いである。

 常日頃、何か事件があると心ある方が遺体発見場所に花を手向ける姿がメディアで紹介される。時にはTV局が何社か屯しているところにわざわざ出向いて祈る姿を長々と映し出されている。よくよく聞いてみると個人と全く関係がなく、この近くに住んでいるからお参りに来たという。”よくできた方だなあ”と感心する反面、TV局がごった返しをしているところにわざわざ勇んで出てくるものだろうかと穿った見方をしてしまうのは私だけであろうか。
関係者以外であれば現場が落ち着いてから静かに冥福を祈るというのが日本人の美学ではなかろうか。

 同級生の女の子数人が、記者たちに囲まれ亡くなったお二人の日ごろについて感想を述べていたが、意外に思ったのがTVでよく見るおばさんたちの囲みと同じパターンであり、話してる内容もおばさん族とあまり変わりがない。
今までであれば、殆どの子供たちは記者などを相手にせずに葬儀場を入っていったはずである。
今回は子供たちから進んで記者に囲まれるのを待っていたように思えたのは私だけであろうか。
これを12歳の子供たちが物怖じもせず、記者を相手に話ができると考えるべきか。
それとも大人びて嫌だねと考えるべきか。
ただおばさんたちの真似だけはしないで欲しいものです。

子供たちは良くも悪くも大人の姿をしっかり見ているものですね。気を付けよっと!
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2015年08月06日

サッカー日本代表のユニフォームは酷くないか

あの見慣れたボロボロピンクのユニフォームはブラジル・ワールドカップ時に着用するためにつくられたユニフォームだそうだ。
サムライブルーの鮮やかな青みが強調された コンセプトは「円陣」。ブラジルW杯で勝利をつかみとるために、 選手とサポーターが一つとなり、「円陣」を組んでともに戦おうという意図が込められ、ユニフォームの背面には鮮やかなネオンカラー(蛍光色)の一本線が施されている。
これは選手たちがピッチ上で円陣を組んだ際、上空から見ると一つの円になるように デザインされているという。
TVでは円陣を組んでもただボロボロの弱弱しいピンクのテープが見えるだけ・・・。誰がデザインしたかは知らないけれど、「結束の一本線」をテーマにした前回のモデルもそうだったが、現行の「円陣」をイメージしたピンクのボロボロモデルは、もっと酷い。アディダス史上最軽量だか何だかは知らないけれど、試合開始以前から円陣がほつれて見えるようではだめだこりゃ・・・。
最近の試合を見ていると男も女も負けっぱなし、しかも北朝鮮・韓国にである・・・。男子のVS韓国戦は辛うじて引き分け、女子は全く良いところなし。
そろそろノリさんもボロボロピンクのように解れてきたようだね。
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2015年07月31日

オイ! マー君 頼むよ・・・。

 ここ2試合で計5本塁打を浴びているヤンキースの田中将大。8勝目をかけて登板した30日のレンジャーズ戦は一発こそ打たれなかったが、6回103球を投げて9安打4失点で4敗目を喫した。

今日はマー君の登板だな・・・。
いつもの朝トレをきっちり終わらせてTVの前に鎮座して今か今かと待っていた。
試合開始、トップバッターをフォアボールで1塁へ。
オイ! 何だ今日もおかしいぞ。
何んとか一塁を刺して3人で終らせた。
ヤンキースの野手陣がホームランを打って2点を先行した。
今日はさい先がよいぞと期待をしたが、どうもボールが先行、
そのうちボカスカ打たれ瞬く間に逆転され、見事に期待を裏切ってしまった。

今年のマー君は怪我のせいか、どうも凄味がない。
いつもハラハラしながら見るようになった。
たとえ三振を取っても快感がないのだ。
怪我の再発を怖がって思いっきり投げられないのではないか・・・。
今のマー君は日本のプロ野球のB級投手と大差ないのではないか。
いまさら怪我を怖がっているようであれば、ヤンキースのエースピッチャーなんておこがましくて言えたものではない。
そろそろ自分の生き方を変えた方が良いのではないか。

 今日は3回を待たずにさっさと野球観戦を切り上げて、自分の溜っている仕事をやることにした。
こんな無様な試合をするのであれば、ヤンキースの応援は止めることにした。
良い年をこいて野球に夢中になるなんてみっともないことは分かっているが、最近は世の中腹立たしいことが頻繁にあり、フラストレーションの堪りっぱなしである。
考えてみれば、田中の無様な野球にカリカリ来るのは、田中にしたら迷惑な話だよね。
年を取ると気が長くなるのではなく、気が短くなるものだ。
マー君にしたら暖かく見守ってくれても良いのでないかと言いたいだろうね。
それができないジジーもいるのだ。
修行が足りない自分にハッと気が付く今日この頃でした。
お粗末!!!

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2015年07月13日

TVドラマ「天皇の料理番」をぶち壊しにした極端な設定

「天皇の料理番」を毎週楽しみにみていた。
佐藤健の”篤蔵”と黒木華演じる妻役の”敏子”の夫婦愛が何とも可愛らしく昔の夫婦とはこんなものなのかもしれないと合点し、毎週新しい展開を待ち望んでいた。
ところが最終回の本日
敗戦後の日本、GHQ(進駐軍司令部)の理不尽さにも我慢して天皇陛下に尽くす篤蔵の姿を表現したかったのだろうが、あまりにも現実離れをしており、みていて不愉快になった。
それはGHQの家族を招いて食事会の場面で、馬鹿な米陸軍の大佐が家族の前で篤蔵に難癖をつけて彼を池の中に叩き込むのだ。
篤蔵たちがカモの真似をして場を和ませようとする。
その姿に子供たちがカモの網をかぶせ喜んでいる。
原作にはない場面である。
いくら占領軍という支配者であったとしても、大佐といえば連隊長クラスであり、大部隊の司令官である。教養ある軍人の姿ではない。
今上天皇の料理番を小僧みたいに扱ったり、靴磨きまでさせる必要があるであろうか。
あの場面を見てせっかく毎回楽しみにみていたドラマが脚本家の現実を知らない無教養な設定は秀作と思っていたドラマをぶち壊しにしてしまったのだ。
いま最終回を観て虚しさだけが残ったのは私だけであろうか。
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2015年07月06日

フラストレーションの溜りっぱなし

・マーリンズのイチローはせっかくのチャンスを活かしきれず30打席無安打。
・ウィンブルドンの錦織圭は負傷のため2回戦で欠場。
・プロ野球は弱い者の見方である我が家、DeNA・オリックスが定位置にへばり付いている。
・世界遺産の登録問題は韓国があることないことケチをつけて、後世に憂いを残す強制労働を思わせる結託をつけて登録になった。
・女子サッカーのW杯は試合開始16分までに4ゴール入れられて決着がついた。
 余りにもお粗末な結果泣いたって仕方あんめいよ、なでしこの娘たちよ。
 おかげで一日中血圧が上がり体調不良を起こしている。

 中でも世界遺産の登録問題は事前の予想通り、韓国のだまし討ちに会い、韓国の思惑通りに日本が押し切られてしまった。
韓国のやり方は今まで通り日本に美味しい餌をまき、日本の譲歩を引き出し結果が出てから、日本を批判する。河野談話、村山談話でずいぶん痛い目にあったはずなのに、正義の味方、誠実の国柄、相手には押しまくれば結果を求めて必ず妥協する日本が見えている。
北朝鮮の拉致問題交渉、対中国靖国問題、対米交渉すべて、一度くらい尻をまくって”堪忍袋の緒が切れた!”とやってみろってんだ。

 それができないんだろうね・・・。
戦後70年一度も尻を剥くって見せたことがないのだから・・・。
恥ずかしいのだろうね・・・。
きっと・・・。
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2015年06月27日

自衛官の婚活の今昔

 先日TVを見ていたら沖縄の那覇駐屯地の自衛官と一般女性たちとのお見合い大作戦をやっていた。
時代の変化は著しいものがあり、今や自衛官のお嫁さんになりたいという女性がたくさんいると言います。
TVに出てくる若者たちは、沖縄勤務の自衛官も、わざわざ本州から参加した娘さんたちも明るく積極的で微笑ましい場面が何度か見受けられた。
可愛らしいお嬢さんにモテモテの自衛官は、まさに至福の時を過ごしていたようです。
 
 昭和30年代後半は、自衛官のお嫁さんになりたい娘さんは少なく、
隊員も素人の娘さんと付き合うことが少ないため、せっかくの機会を活かせなかったようでした。

 昭和40年代は電電公社(NTTの前身)労組が”自衛官のお嫁さんにならない運動”が盛んで元気印の自衛官が悔しい思いをしたものでした。
そのころ一般大学から幹部自衛官を目指して幹部候補生学校を受験したものに対する教員から妨害活動があったり。また付き合っていた彼女からも”自衛官ですか・・・”といい顔をされなかったようです。
昭和50・60年代からは少し様子が変わってきたようで、男らしさと逞しさが売りで、結婚相手にはあまり不自由をしなかったと聞いております。
アイドル化した小ぎれいな男性は今でも持てますが、体育会系で災害派遣等で黙々と働く男性に、新しい男の魅力を感じる女性が増えてきたのかもしれません。

 転勤が多いとか、演習等で家を空けることが多いと言われますが、一般サラリーマンでも全国を渡り歩いたり、海外出張で長期間家を空ける人もおりますね。
危険な仕事に携わっているといいますが、世界中がテロの不安に怯えている今日、いざ戦争となっても戦うのは自衛官ばかりではなく、国民がこぞって闘うことになります。そのように考えれば戦の初動は確かに危険率が高いと云えますが、自衛官ばかりが特別とは言えないかもしれませんね。
自衛官との結婚で大切なことは常日頃から、いざという時は覚悟を決めなさいということを夫婦間でよく話し合っておくことですね。
阪神淡路大震災や東日本大震災を例に「自衛官の妻のあるべき姿」を覚悟しておいてほしいものです。
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2015年06月03日

錦織よ 何でここでミスるの! 思わず声を出す自分にびっくり

昨夜は22時過ぎから深夜の3時過ぎまで、全仏オープンの男子シングルス準々決勝を観戦した。
病み上がりの身には少しはこたえる夜更かしであった。
大会初優勝を狙っていた第5シードの錦織圭は、これまで通算対戦成績で相性の良かった第14シードの地元JW・ツォンガ(フランス)にフルセットの末に敗れた。
地元ツォンガに熱い声援が集まる中、緊張からかいつもの錦織のパフォーマンスは見られず、第1セットを簡単に落とすのだ。

この辺からいつもの私ではなく、熱くなった自分がいた。
「しっかりしろ!」
「何をやってるんだ!」
「ここで攻めないで、いつ攻めるんだ!」など
技術的にど素人のわたしが叫んでいる。
足を組んだり、座りなおしたり、水を飲んだりとジッとしていられないのだ。
ジジイの興奮状態はファイナルセットまで続き、最後は虚しさと腹立たしさだけが残ったのだ。

 フッと自分の姿を反省してみる、俺はいつからTVごときに入れ込むようになったのかと・・・。
現役時代はどんな時も冷静さを失わず、適切な状況判断ができるようにと平常心を養うことに努めていた。
いま現役を降りて重しが無くなり、女房相手に虚勢を張ることも無くなり、感情をあらわにすることが出来るようになったのだ。
 若いころはご贔屓の巨人軍が、楽天が負けて一日中気分が悪いと公言する職場の同僚を見て、“野球の勝敗ごときで悔しさを引きずるなんて馬鹿じゃなかろうか”と思っていた。
そんな私がいま気分の冴えない朝を迎えているのだ・・・。
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2015年05月27日

「続・竹林はるか遠く」健気な3兄弟の生きざま

2013年09月20日にUPしたブログ「竹林はるか遠く」は戦争の悲惨さを家族愛で乗り切るhttp://blog.seesaa.jp/cms/article/edit/input?id=375333191
11歳だった作者のヨーコは第二次世界大戦の終戦時に体験した朝鮮半島北部の羅南(らなん)から京城(けいじょう)、釜山(ふざん)を経て日本へ帰国する際、朝鮮半島のソ連軍と呼応した朝鮮共産党軍の兵士や暴徒と化した一般な朝鮮人によって、北から南へ逃走中の日本人は片っ端から殺害され、日本人の遺体は金歯を引き抜かれ身ぐるみ剥がされ、日本人の土地家屋財産などが奪われ、日本人の若い女を見つけると草むらや路地裏に引きずってでも強姦されていたとする決死の体験や、引揚後の苦労が描かれており、戦争の悲惨さに果敢に立ち向かう母娘の姿描かれていた。

「続・竹林はるか遠く」
この続編は引揚者という身寄りもなく、住むところもなく極貧の中にも人間として気高く生きる道を貫く姿が見事に描かれている。
14歳になった擁子は、まともな文房具も娘らしい華やかな服装もできず同級生にはさげすまれ、いじめに遭いながらも患者さんの湊さん、用務員の内藤さん等の温かいサポートにより京都の嵯峨野女学校を首席で卒業する。
この間、お世話になっていた増田夫妻殺しと放火容疑をかけられたり、教室では泥棒の濡れ衣を着せられたり、部落民じゃないかという差別にあったりしながらも川島家の誇りを胸に立ち向かっていくのである。

私が小学生の頃、ボロボロの服を着て、風呂も入っていないらしく悪臭のする子供がいた。
弁当箱にはジャガイモと梅干だけ、それさえも持たせてもらえない子は、昼休みには校庭のブランコや砂場で時間つぶしをやっていた。惨い話です。
子供というものは残酷なもので、「臭いからあっちへ行け!」などと心無い言葉を平気で吐いたものです。

 この物語を読んでいると、3兄弟が個性的に描かれており、この時代“長幼の序”がハッキリしていて兄弟でも上の者に絶対の権限があったのだ。
兄の淑世(ひでよ)は「俺が川嶋家の家長だ! 黙って従え!」
姉の好(こう)は「口答えは許さない、これは命令です!」等
擁子(ようこ)は一方的に命令に従うだけであった。
これにはさすがのヨーコも反発するがそれらは全て理にかなっており、妹に対する深い愛情の顕れであったのだ。

 我が家は5人の男兄弟
長兄は進学のためはるか遠く家を離れており、長兄と弟としての濃密な記憶はない。
一番怖かったのは父親で口答えでもしたら軍隊仕込みの鉄拳が飛んでくる。
次兄には男兄弟のトップとして威厳があり、実力行使をやられるので逆らうなんて考えても見なかった。
3兄は次男の次に威厳も力もあった。
4兄とは身体の大きさでは負けるが年齢が近いせいか、血だらけの喧嘩をしたことがある。
しかしケンカの原因は全て自分にあり、エネルギーに充ち溢れていたのかもしれないね。
兄たちはみんなまじめで優等生ばかりであったが、わたしはいつも先生から「少しは兄たちを見習え!」と怒られていたものである。
 このように序列がハッキリしていたということは、上に立つものは下にいるものに対して指導的な立場に立たざるを得ず、自ずと行動を律することになる。
ヤンチャをやれるのは一番下のバッチである私だけであった。

 学校においても、先生はクラスを仕切っていたガキ大将である私に対して、こういうことをやれとか、誰々の面倒を見ろとか色々と指示をされた。
それでクラスはうまくまとまっており、私を中心に一致団結をしたものである。

この「正続・竹林はるか遠く」は、アメリカでは優良図書に選ばれ中学校用の副読本として多くの学校で使用されている。
日本においても戦争というもの、人間の尊厳というもの、混乱期における優しさと醜さ、家族の絆を教える秀逸な本と思う。
これは一読の価値があると思い紹介した。
posted by 木漏れ日 at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月24日

辛うじて保ったガキ大将のプライド

小学校時代は所謂ガキ大将といわれ、常に取り巻きに囲まれ、いつも気を張った生活をしていた。
勉強も喧嘩もそれなりで、一番大事なのは仲間を守るための度胸と気迫、
常に腹の据わったところを見せなければならなかった。

 ある日、仲間4・5人と川遊びに行くことになり、学校の裏を流れる当別川に行った。
石投げをしているうちに泳ごうと言うことになり、
以前にも書いたが腰にぶら下げた手ぬぐいとズボンのベルトがあれば準備OK.
私の泳ぎのレベルは犬かきもどき程度。
急な流れに乗ってバタバタ手足を動かしておれば、20〜30mは泳ぐと言うより流れていくのだ。

どこまで泳げるか競争することになった。
1人ずつ川岸から飛び込んでいき距離を競うのだ。
さあ困った、私は一度も飛び込んだ経験がない。
ここで俺は飛び込めないとは立場上口が裂けても言えない。
一応ポーズだけは平然として仲間に気合を入れていたが、内心失敗したらどうしようとそればかり・・・。
 
 いよいよ私の番が来た。
私は腹を決めて思い切り高く飛び込み直角に頭から入水をした。
頭から突っ込んだのは良いけれど、川底の石に頭を打ってしまったのだ。
一瞬クラクラっとしてそのまま波に呑まれて川下に流されていった。
 途中で意識を取り戻し浅瀬にたどり着いた。
仲間がたどりついて「おい! 大丈夫か!」と声をかけた。
「どこまで行けるか試したんだ!」と私。
「そうかぁ、おまえはやっぱり凄いよなぁ!」と仲間たち。
辛うじてガキ大将の威厳を保った私でした。
正直に言うと、ほとんど溺れており、浅瀬に引っかかっていただけだったのだ。
posted by 木漏れ日 at 10:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月23日

危うく溺れるところだった!

火野正平の”とうちゃこ”を観ていたら、視聴者からのお手紙に小学生の頃、利根川に掛かる坂東大橋下流100m付近で泳いでいたら流されて危なく溺れるところであったとのこと。
それで思い出したのが、我が幼少の頃の話である。

私が育った北海道の田舎町にはシャケのふ化場跡があり屈斜路湖から流れ出る釧路川の流れは結構急であったが、そのふ化場跡だけは急カーブしていて結構深いが淀んだ溜まりになっていた。そこは子供たちの格好の水遊び場であった。

当時は街にプールもなく水泳パンツも一般的でなく、ズボンのベルトと日本手ぬぐいで褌(ふんどし)を作り遊び終わったら、その手拭いで身体を拭き、綺麗に畳んでベルトに刺しハンカチ代わりとしたものである。
ただ北海道の川遊びは水が冷たく紫色になった唇と鳥肌の立った身体を震わせながら河原でたき火をして温まったものである。

私たちの水泳能力は真面な泳法を知っているわけではなく、深いところにもぐって綺麗な石を取ってきたり仲間でじゃれあったりして楽しんだのだ。
ある時流れの急なところに挑戦して仲間に良いところを見せようとしたのが誤りで、果敢に挑戦したのは良いけれど流れが速くて岸へ泳ぎ着けないのである。そのうち浮き沈みしながら水をガブガブ飲みながらどんどん下流に流されていった。付近に大人は居ず遊び仲間がワーワー騒ぐだけ・・・。
そうこうしているうちに150〜200m先に橋が見えてきた。
私は得意の犬かきもどきで必至に泳ぎつづけ、ようやく橋げたにしがみ付いたのである。
わが町の中学校にプールができたのはそれから3・4年後のことであった。
posted by 木漏れ日 at 15:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月21日

終活とBook Off

数年前から「終活」と言う言葉が流行っており、本屋でも終活に関する本が売れているらしい。
人生の終末段階を心置きなく過ごすためには、身の回りを綺麗にしておく必要がある。
遺言を書く人、財産分与する人、人間関係のもつれの修復、長年溜めた私物の整理をする人と色々である。

かねてより我が山の神どのから、「本を何んとか始末してくれないと家の床が抜けますよ!」と言われていたが、読書の趣味が邪魔をして、踏み切れないでいた。
しかし、家もギシギシと悲鳴を上げるようになり、本の重さで床が抜けても困るので、本を捨てる一大決心をすることにした。

昔は2〜3年に1回は転勤があったので、その度ごとミカン箱に入れて処分していた。
しかし毎日が日曜日の今、転勤も無くなり本が溜る一方。
4個ある本箱も前後2列に収め最早入る余地なしの状態。

 どのように処分をするかといえば、Book Offへの持ち込み、宅配便(送料無料)、町内の分別回収、ゴミとして処理のうちnetで申し込める宅配便を頼んだ。
第1日目はミカン箱×6個、第2日目はミカン箱×7個 計13個を処分した。
佐川急便の宅配業者が自宅まで取りに来てくれたので、私は箱に入れて玄関まで出すだけという気軽さ。
売上金は楽天銀行の口座に振り込まれるらしい。

所蔵する本の3分の1は処分したが、出張のたびに神田の古本屋街を漁り歩いて1冊ずつ手に入れた59冊もの「一億人の昭和史」シリーズ、「目録20世紀」全巻、一品ものの事典、今では絶版になっている希少本やブログのネタ元になりそうな資料本は捨てきれなかった。
カテゴリー別にいうと歴史もの、武士道関連本、辛口コラム、古代史関連、近現代史関連が残ってしまったのだ。まだ捨てなければならないものは25年かけて分類整理した資料集が40〜50冊、200〜300枚のCD、その他諸々。
勢いで捨ててしまったモノの中には、今考えるとあの本だけは捨てなければよかったと後悔しているものが数冊。後悔先に立たずである。
これで一時休憩して、残りの処分は後で考えることにした。

 本を処分するということは、私が大事にしてきた内面の強さのネタ元を無くしたようなものである。また乏しい小遣い(女房には叱られそうだが)の大半を費やすことにより、長年かかって買い集めた本である。当然愛着があり、私にとって片方の翼を削がれたような気がする。

TV番組のセリフじゃないけれど、”何かを得るためには何かを捨てなければならない”
切ないですな・・・ご同輩!

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2015年04月15日

ママチャリオヤジさんにエール

 北海道も雪が解けて春らしくなってきた。
私も脚力が落ちていたのでウォーキングを始めた。
体調を崩して以来引きこもりがちの自分に気合を入れるため、ラジオ体操と2kmのノンストップウォーキング(ストック)を荷している。

 今日は朝から小雨が降っていたが、ようやく晴れたので14時頃出かけた。
堤防方向からママチャリに乗ってきた来たオヤジさんと世間話。
見たところ60代半ばで、どう見ても冴えない服装をしている。
ボロボロのママチャリの後輪はタイヤが裂けており、黒いビニールテープをぐるぐる巻きにして補強している。
 「ところでどのくらい歩いているの?」とオヤジさん。
「身体の調子を見ながら30分程度ですね、あなたはどのくらいですか」と私。
「1日に50kmから70kmです」とオヤジさん。
「この自転車でですか、すごいですね!」と私。
「これは見てくれは悪いけれど空気注入不要のパンクレスチューブを使っているんですよ」とオヤジさん。
なるほどタイヤが切れてパンクレスチューブが5cmほどはみ出ている。
私は妙に感心をし納得をした。

 オヤジさんは勝ち誇った様子を見せて立ち去った。
見たところ前歯がない割には黄色く剥きだした太い犬歯が2本、その力強さを表していた。
思わず頑張ってくださいとエールを送った。
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2015年04月08日

桜の時期に思い出すこと

私は富士山と桜が大好きなオジサンを自負していた。
若いころは富士山の麓の御殿場市に住んでいたことがある。
春夏秋冬の富士山の美しい風景を当たり前のように見ていたが、
転勤で富士を離れると妙に懐かしく感じて、わざわざ東京から一家で富士登山に来たものであった。
桜は九州の久留米をはじめ東京の千鳥ヶ淵公園、靖国神社、上野公園等、北海道松前城、札幌円山公園、新ひだか町の二十間道路桜並木等日本全国の桜めぐりが大好きであった。
秋は紅葉を求めてと、日本の美が私のDNAにしっかりと刷り込まれているらしい。

 二昔も前のことである。
私はある組織の長をやっていた。
私の管理する敷地には毎年問題が起きていた。
それは電線の真下に桜が生い茂っていて、電線を保護する伐採作業が必要であった。
その桜は先輩たちが植樹し、後輩たちが何十年もかけて大事に育てたのであり、
その見事な枝ぶりは皆の自慢であった。

 あるとき出張から帰ると、道路周辺がやけにすっきりしており何か変だなと気づいた。
幹の太さが30cmもある桜木が30本あまり切り倒されていた。
下手人は私の部下であった〇管理科長以下20数名
あまりにも想定外のことであり、私は完全に頭に血が上っていた。
私より5歳も年上の彼を呼びつけて、私の許可もなく何故あのような行動に走ったかを問いただした。

 彼は毎年起きている伐採の問題点を解決するためにやったという。
また新しい桜の苗木を植えますので問題はありませんという。

 私は自分の部下を大きな声で叱責をすることはないように努めていたが、この時ばかりは「取り返しのつかないことをやって・・・許せない!」と頭の血管がブチ切れんばかりに声を張り上げた。
普段はふてぶてしい50男も真っ青になってガタガタ震えていた。
それでも治まらずに、優秀だと評価していた〇営繕班長にも「お前がついていながら、なぜ止められなかったか」の問いに終始無言であった。

 私の組織の不始末を上司にお詫びしてこの件は一件落着とした。
怨念は心の中に抑え、じごは整斉と仕事に励むことにした。

 しかし桜の時期になるとあの苦い記憶が甦ってくるのは歳のせいとばかりは言えないね。
毎年見事に咲いていたあの桜の怨念が私に乗り移っているとしか思えないの私だけでしょうか・・・。
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2015年03月17日

メダカといきものがかり

我が家初の観賞用メダカを飼って2年になる。
決して犬とか猫が嫌いなのではなく転勤族の時は物理的にできなかったのである。
私は家の中で動物を飼うのはあまり好きではない。
むかし会社の同僚の家に用事があり、伺った時のトラウマが残っていたのだ。

それは玄関に入った時、傷だらけのベニヤ版が目に入り、ソファーや車の座席に座ったあとは背広が犬の毛だらけになり、ずいぶん不快な思いをしたものであった。
ところが飼い主は「毛だらけでマイッタでしょう!」とあっさりしたもの。
動物好きの女房・子供たちは暮らしが落ち着いたら犬か猫を飼いたいねという。
私は家の中を滅茶苦茶にされるから駄目だとの一点張り。
しかし馬好きの私はできればポニーでも飼いたいなと思っていたが無理な話。

あるとき女房がメダカは手間がかからなくて可愛いらしいよという。 
その言葉を信じてメダカを20匹ほど飼うことにした。
ところが10日から15日で藻が発生し砂利を洗い、ポンプを掃除し水を取り換えるには軽く1時間はかかる。
最初は私の役割であったが、今は女房がやってくれている。
せっせと世話をすると可愛くなるらしく、餌係の女房が近づくとメダカが一斉に集まってくるのだ。それが何とも可愛らしくてせっせと餌をやる女房であった。

我が女房はわが家の霊長類に飯を食わせてみんな立派な体格に育てているように、メダカもすぐに大きくなってお腹も大きくなっている。
あとからのこのこ起きてくる子供の口癖は「孫たちに餌はやったの?」
女房が忘れている場合は、嬉しそうにいつもの2倍の餌をやるのだ。
「これだけせっせと世話をし、確実に餌をやれば太るわな〜ぁ!」と霊長類のボス。
ただのデブポニーにでもしたら、馬が可哀そうなので私の夢は諦めることにした。
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2015年03月10日

ダルビッシュの秘め事に男と女では温度差

我が家は熱狂的とは言えないが、MLBのファンである。
特にマー君・イチローのヤンキース
上原・田沢のレッドソックス
ダルビッシュのレンジャーズ
は良く観ている。

最近、ダルと山本聖子の交際宣言、妊娠4か月が発覚した。
山本聖子が前夫と離婚が成立する前に仕込まれたらしいという噂がながれ、我が家のオナゴ衆は“これは不倫ではないか”古閑美保なら許せるが聖子は許せないとわけのわからないことを言っている。
ところが男としての心境は何も子持ちでなくてもいい女がたくさんいたではないか程度である。

 ダルは前の女房“紗栄子”もデキチャッタ婚であり、今回もデキチャッタ交際とうまく女にしてやられたなというのが、男衆の感想である。
この度、ダルビッシュが右肘靭帯損傷で長期離脱の可能性が問題となっている。
最悪の場合は今シーズン絶望との声もある。

 山本家は離婚再婚については寛大な家風らしい。
父親もKIDも華やかな結婚生活を繰り返している。
姉の美優は浦和レッズのI氏、格闘家のE氏、アルペンスキーの日本代表S氏とでバツ3
妹の聖子はハンドボール日本代表のN氏のバツ1
喧しい世間様は、レスリングの山本姉妹は世界で活躍する男たちの生気を吸い取ってしまい男をダメにしてしまう女ではないかと言われている。
ダルよ!この悪評に負けず治療に励み、半年・1年後にはあの大リーガーをキリキリ舞いさせる雄姿を再び見せてくれ! 
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2015年02月25日

整形美人の韓国 本当は・・・。

「韓国女性が世界で一番美人が多い」とウリナラはいう。
韓国の芸能界、マスコミの女性は確かに綺麗である。
私も10年ほど前までは彼女らのスタイルといい、顔立ちといい
実に美しく好みとも言えたものでした。

ところがnetで韓国関係の記事を読んでいくと若い女性の5割から7割が整形しているという。韓国美人一覧を見たらみんな同じに見えたのは私だけであろうか。
美容整形のCMにでていたのですが、夫婦で整形した美男美女の2人の子供が、どう見ても他人の子どもとしか言いようがない顔立ちであり、まるで大阪のコメディアン千原セイジを子供にした顔である。また角ばった顎を細くするために削った骨が山盛りになっているのを見てゾッとしたものです。

韓国・朝鮮人はなぜこのように美に拘るのでしょう。
確かにソウルと地方の女性の顔立ちは明らかに差がある。
特に地方の若い男女、子供たちは決してかわいいとは言えない。
地方の人たち特に40歳以上の韓国人の顔立ちにDNAを色濃く残しているのではないか。
プサンの魚市場のオバちゃんたち、地方を舞台にした事件もののドラマ、戦争映画の男たち・・・。

 韓国・朝鮮には中国の属国であった高麗・朝鮮王朝時代に悲しい歴史的「屈辱」がある。恥辱の歴史は、5世紀初めまでさかのぼる。高句麗・新羅から中国の北魏に、女子を送ったという記録がある。貢女の献上が最も盛んに行われたのは、高麗後期から朝鮮王朝時代にかけてだった。学界では、国としての献上した貢女の他に、中国の高官が私的に連れて行ったケースを合わせると、数千人に上ると推定している。

 13世紀から国中の美女を毎年のように選抜して中国に連れて行かれる。
残ったのはブスばかりかそれに近いもの、本来劣性遺伝のはずがそれなり以下のものが優性遺伝となって村々に残ったわけである。
ということは韓国人たちの気持ちは分かるよね。

これらは朝鮮日報 2011.04.24 高麗・朝鮮王朝時代の「貢女」の実態から一部抜粋




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2015年02月19日

「KANO」に感動!!!

久しぶりに映画を観に行った。
体調を崩してはいたが、1年後のWOWOW放映まで待てそうもなかったのが、「KANO 1931海の向こうの甲子園」だ。
本作は、甲子園を目指す近藤監督のもと、猛練習に励んだ日本人、漢民族、原住民(高砂族)の混成チームが1931年夏の甲子園で準優勝した実話を映画化したものだ。
戦前の植民地である台湾や朝鮮から甲子園を目指した若者たちがいたということと、
「セデック・バレ」を監督したウェイ・ダーション(魏徳聖)がプロデューサーを務めたということに魅かれ、かなり無理をして映画館に行ったのである。

1929年、日本統治下にあった台湾で、近藤(永瀬正敏)は弱小チーム嘉義農林野球部の新監督に就任する。日本人、台湾育ちの漢人、台湾原住民(高砂族)の混成チームは新監督の導きでそれぞれの能力をフルに発揮し、猛特訓にも必死で食らいついていく。それまで連敗続きだったチームは少しずつ成長を遂げ、部員たちは甲子園を夢見るようになり、混成チームが1931年夏の甲子園で準優勝した実話を映画化したものである。
ひたむきな若者の姿、心無い記者たちからの言葉にもジッと耐える姿、3民族が一つになって闘う姿に鬼監督をわが身に、必死に頑張る若者達にかっての教え子たちを写し、深い感動を覚えたのである。

若者たちの精悍で爽やかな表情、野球選手としての所作も形になっており、見るものに違和感を感じさせない。
植民地に配置された教師たちは選りすぐりの人間が派遣されていたということも表現されていた。
この映画は、野球好きも、青春ものも、遥か彼方に熱い心を忘れたお年をめした方も是非観ていただきたいと思います。
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2015年01月31日

我が家のテニス観戦も終了

つい先日までの我が家唯一の楽しみは錦織圭選手の大活躍であった。
残念ながらテニスの全豪オープン男子シングルスの準々決勝で28日、前回覇者のワウリンカにストレート負けした。
これには私も声なし。
まさかこんな展開になるとは思いもしなかったのだ。
一瞬にして日本のフィーバーは静まりマスコミもあまり騒がなくなっている。
あの熱い男松岡修三も大人しくなった。
しかし”錦織フィーバー”は止まるところを知らず高まっているいうデータもある。

テニススクールで西日本最大規模の江坂テニスセンター(大阪府吹田市)は「未来の錦織」を夢見る9歳以下のキッズ選手の父母から入会問い合わせが春先から増えている。全国24施設でテニススクールを運営するコナミスポーツ&ライフの体験レッスンも申し込みが約2割増えた。
「錦織モデル」のラケットを扱うスポーツメーカー、ウイルソンには全米オープンで錦織がベスト8に進んだころから注文が殺到し、一時在庫が底を突く状態になった。試合を独占生中継した有料BS放送のWOWOWには契約の問い合わせが殺到。テニス関連株の上昇もあり、300億円以上の経済効果を予測するエコノミストもいるという。(産経WESTから一部引用)
posted by 木漏れ日 at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする