2018年06月24日

中学生の反戦への誓いを聞いて

73年目の「慰霊の日」を迎えた23日、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄県主催の沖縄全戦没者追悼式が執り行われた。

 沖縄戦では両軍及び民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人とされる。その内訳は、沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると、日本側の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人である日本側の負傷者数は不明。アメリカ軍側の死者・行方不明者は20,195人、戦傷者 55,162人イギリス軍の死者85人で、アメリカ軍戦闘外傷病者は26,211人であったといわれている。

 この追悼式で浦添市立港川中学校3年の女生徒(14)が詩「生きる」を朗読した。
清純無垢の彼女の鬼気迫る朗読は、おどろおどろしい演技力と言おうか朗読力に声も出なかった。
 詩そのものは一級品と認めるも、私自身何かすっきりしないものを感じた。
いつも感じることであるが、この種 追悼式における沖縄女性特有の感情論が先行し、その血の叫びに異議をはさめさせない雰囲気を持っているともいえる。
 12年前 沖縄へ慰霊を兼ねて観光に行ったことがある。
そのときのガイドさんは沖縄美人を代表するとても感じの良い方でした。
 丁度 南部戦績を回るころに、霊媒師のユタが憑依したかのように感情をこめて振り絞るような声で日本の軍人が沖縄の民間人に銃口を向け、如何に理不尽な行いをしたか訴えるのです。
 私も戦史の研究家としての自負がありましたので、このガイドは「見てきたようなうそを言い」と思ったが、他のお客さんもいたので敢て黙っていました。わたしの不愉快極まりないのが言葉には出さなかったけれど雰囲気で感じたらしく、ガイド後半は少し控え目にしてくれた。
 戦争の語り部というのは実際に観ていなくとも他人様に聞いたり、本を読んだりの後付け追体験でより先鋭になるものです。この浦添の女生徒もその道の先輩から指導を受け練習するうちにどんどん入れ込んでしまい、一人芝居の狂気女優と称される白石加代子並みになったのでしょう。
ある沖縄の語り部がTVレポーターに言っていたことを思い出します。
「戦争の悲惨な状況を表現することが大事であり、お客様に理解していただくために より創造的なお話をします」ということでした。ところで10歳のころの体験談を今語れますか?。
マスコミで”私は戦中派”を名乗る人がいますが、”あなたおいくつですか”と聞くことですね。
 ということは90歳代半ばの人でなければ戦争の真実は語れないのであり、もはや戦争体験を語れる人はいないのである。
もう沖縄県の反戦指導者は純真無垢の女学生にこんな思いをさせるのは止めませんか・・・。
posted by 木漏れ日 at 13:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月29日

Uという病と闘う友人がいる

 実を言うと Uさんは学年は1こ上であり 先輩でもあり友人でもある。
 転勤族であった我々は遠くへの転勤の度に中継点として 泊めてあげたり 泊めてもらったりの仲であった。
お互い北海道出身ということもあり 最終勤務地は道央ということになった。
女房同士も仲が良く 家族ぐるみの付き合いを続けていた。

 丁度 10年前のことである ご主人が脳幹出血を起こし半身不随になり 言語障害も発症したのだ。
 私は自宅から車で20分ほどのところにいた関係で できる範囲のことは何でもしてあげた。
脳幹をやられた場合寝たきりになるか 再起不能が普通であり 私の同僚だったK君は残念な結果となったことがあった。
Uさんは倒れたあとの処置が素早かったこともあり 驚異的粘りと強い意志で車いす生活まで回復したのだ。
やがて自宅療養になり 自宅からリハビリに通う日々が続いた。
 この夫婦に感心したのは 元気だったころは小回りの利くご主人に頼りきりで 本当に動きの悪い奥さんが一転して 独楽鼠のように動き回るのだ あまり運転などもしなかった奥さんが片道250kmもあるのに ご主人の実家へ送ったり 障碍者の会に入り函館まで一晩泊まりの温泉旅行に連れて行ったり ご主人のために必死になって尽くす姿はすがすがしいものがあった。
ご主人もまた愚痴の一つもこぼさずモクモクと病気と闘う姿にただ驚くばかりであった。

 ところが このご夫婦に悲劇が訪れたのだ。
甲斐甲斐しくご主人の面倒を看ていた奥さんに 癌が発症して入退院を繰り返していたが 1年ほどでこの世を去ったのだ。ちょうどこの時期に私も体調を崩し入退院を繰り返し 先輩夫婦の面倒を看ることができなかったのだ。
仲良くしていた女房が十分お世話ができなかったことを悔やみ申し訳なかったと取り乱してしまったことがあった。
 その後 わたしも女房も風邪を拗らせたり 足を怪我したりでご主人への見舞が遠のいていたところ 女房がUさんの奥さんがニコニコして夢に出てきたというのだ。
 これは万難を排してお見舞いに行かねばと思い 娘さんに電話したところ嚥下障害を何度も起こしたので遺漏の処置をとり点滴で栄養を取っているので やせ細って見る影もない姿になっているとのことであった。

 さっそく 今日お見舞いにあがった。
あの元気な時の姿は見る影もなく衰えていたが 病気と闘う闘志みたいなものを感じ少し安心した。30分ほどお話をして失礼をした。
がんばれ Uさん!!!



 


posted by 木漏れ日 at 22:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする